意思能力
改正前の民法においては,
権利義務の帰属主体となり得る資格として「権利能力」,単独で有効な法律行為をなし得る資格として「行為能力」,自らの不法行為に対して損害賠償責任を問われる「責任能力」についての規定はありましたが,意思表示をなし得る資格に関する規定は存在しませんでした。
改正法では,意思能力に関する規定を置き,法律行為の当事者が意思表示をしたときに意思能力を有しなかったときは,その法律行為は無効とする旨を明文化しました(民法3条の2)。
* 意思能力とは,行為の結果を判断(弁識)するに足るだけの精神能力などと言われますが,学説上理解に対立があり,改正法でも定義は明文化されませんでした。
* 併せて,意思能力を有しなかったものが相手方にする原状回復義務の範囲は,「現に利益を受けている限度」にとどまる旨の規定が新設されています(民法121条の2第3項)。(別記事で改めてまとめます)
意思表示
意思表示とは,一定の法律効果の発生を欲する旨の意思を外部に表明する行為をいい,契約は,当事者の意思表示の合致によって成立します。
この意思表示に問題のあるケースとして,民法は5つの類型を置いています。
内容 | 改正の有無・改正事項 | ||
93条 | 心裡留保 | 表意者がする真意と異なる意思表示 | 第三者保護規定の新設 |
94条 | 通謀虚偽表示 | 相手方と示し合わせて(通謀して)する真意と異なる意思表示 | 改正なし |
95条 | 錯誤 | 真意と表示の不一致を表示者が知らないこと(間違って真意と異なる意思表示をした場合) | 改正あり→後述 |
動機の錯誤 | 意思表示そのものではなく,意思を形成する過程としての動機もしくは縁由の点に錯誤があること | ||
96条 | 詐欺 | 人を欺罔して錯誤に陥らせる行為 | 第三者保護規定の新設 |
96条 | 強迫 | 不法に害悪を通知して相手方に畏怖を生じさせる行為 | 改正なし |
心裡留保
心裡留保による意思表示は,原則有効です。ただし,相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り,又は知ることができたときは,無効となります(民法93条第1項)。
* 改正前「真意を知り」→改正後「真意ではないことを知り」に改められています。真意の内容を知らなくとも,その意思表示が真意と異なることを知っていた場合は,保護する必要はないからです。
改正前は,心裡留保による意思表示を信頼して取引した第三者を保護する規定がなく,虚偽表示に関する94条2項を類推して第三者を保護していましたが,改正により第三者保護規定が置かれました。
→心裡留保による意思表示が相手方の悪意(又は善意有過失)により無効となる場合でも,この無効を善意の第三者に対抗することはできない,と規定されました(民法93条第2項)。
錯誤
要件
改正前95条は,「法律行為の要素に錯誤」があることを要件として規定しており,判例はこれを①表意者が錯誤がなければその意思表示をしなかったであろうと認められる場合であり(主観的因果性),②通常人であっても錯誤がなければその意思表示をしなかったであろうと認められる(客観的重要性)ことが必要,と解していました。
改正法では,要件をわかりやすくするため,以下のように整理して規定しました(民法95条第1項)。
まず,錯誤には
- 「意思表示に対応する意思を欠く錯誤」(表示の錯誤)
- 「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」(動機の錯誤)
という2種類があることを明示しました。
*動機の錯誤に関して,改正前は明文の規定がなく,従来判例では,「動機が相手方に表示されて法律行為の内容となり,もし,錯誤がなかったら表意者が意思表示をしなかったであろう」と認められれば,錯誤無効が認められるものとされてきました。改正法により,「動機の錯誤」に関する規定が創設されました。
そしていずれの錯誤も,
① 錯誤に基づき意思表示がされていたこと(主観的な因果関係の存在)
② 錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであること(客観的な重要性の存在)
の要件が必要となります。
さらに,「動機の錯誤」に関しては,上記①②に加え,
③表意者にとって法律行為の動機となった事情が法律行為の基礎とされていることが表示
されていなければ,錯誤による意思表示の効力を否定できないものとしています(95条第2項)。
③は,その事情が法律行為の当然の前提となっていることが相手方にも表示されていた場合のことをいい,黙示的に表示されていた場合でもよいと解されています。
* 例えば,離婚に伴う財産分与として土地を譲渡する場合において,分与をする者の側に課税されないことが財産分与の前提とされていることは,その旨明示的に表示されていなくとも,経緯等から相手方にも認識でき黙示的に表示されていたと評価できれば,要件を満たすと考えられます。
効果
改正前は,錯誤の効果は「無効」と規定されていました。「無効」とされた場合,普通は主張権者に制限がなく(第三者でも主張でき),かつ期間制限もないものとされますが,判例は,錯誤の無効は原則として表意者のみが主張できるとしていました。
また,「錯誤」と比べるとより表意者に帰責性のない「詐欺」の場合の効果が「取消し」とされており意思表示の効力を否定する期間が限られていたことともアンバランスでした。
そこで改正法では,錯誤の効果を「無効」ではなく「取消し」としました(民法95条第1項)。
表意者に重過失があった場合
改正前は,表意者に重過失があった場合は錯誤無効は主張しえないものと規定されていましたが(改正前95条ただし書),
改正法は,表意者に重過失がある場合でも,
① 相手方が表意者に錯誤があることを知り,または,重大な過失によって知らなかったとき
あるいは
② 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき
は,錯誤取消しが可能としました(民法95条第3項)。
* ①の場合に相手方を保護する要請は低いですし,②の場合は相手方も同様に誤解をしていたのですから意思表示の効力を維持して相手方を保護する必要性は低いものと考えられたためです。
第三者保護規定の創設
改正前は明文の規定がありませんでしたが,錯誤に陥った表意者には一定の帰責性がありますので,錯誤に基づく意思表示を信頼した第三者がいる場合には,その第三者を保護する必要性が高いので,改正により第三者保護の規定が置かれました。
ただし,錯誤による表意者は,自ら虚偽の外観を作り出して虚偽の意思表示をした場合に比べて責められるべき事情が小さいので,第三者の信頼は虚偽表示の場合よりも保護に値するものでなければバランスを欠くことになります。
そこで,改正法では,錯誤による意思表示の取消しは,善意・無過失の第三者には対抗できないとしました(95条第4項)。
詐欺
詐欺・強迫による意思表示は,取り消すことができるのが原則です(96条第1項)
第三者による詐欺の相手方
第三者が表示者に詐欺を行ったことにより,表意者が相手方に対してした意思表示は,相手方が第三者が詐欺を行ったことを知っていたとき,または知ることができたときに限って,取り消すことができます(96条第2項)。
改正前は,相手方がその事実を知っていたときに限って取り消すことができるとされていました。しかし,第三者が詐欺を行ったことを相手方が知らなくても,これを知ることができた場合は相手方の信頼は保護に値するとは言い難いので,改正により,知ることができたときも取り消すことができるものとされました。
第三者保護規定の見直し
改正前は,詐欺による意思表示の取消しは,善意の第三者に対抗することができないと規定し(改正前96条第3項),第三者の過失の有無は問題とされていませんでした。
ただし,詐欺による表意者は,自ら虚偽の外観を作り出して虚偽の意思表示をした場合に比べて責められるべき事情が小さいので,第三者の信頼は虚偽表示の場合よりも保護に値するものでなければバランスを欠くことになります。
そこで,改正法では,詐欺による意思表示の取消しは,善意・無過失の第三者には対抗できないとしました(96条第3項)。
善意 | 悪意 | 善意 | 悪意 | ||||||
無過失 | 有過失 | 無過失 | 有過失 | ||||||
93条 | 心裡留保 | 相手方 | 有効 | 無効 | 無効 | 第三者 | 〇 保護される (2項) |
× | |
94条 | 通謀虚偽表示 | 相手方 | 無効 | 第三者 | 〇 (2項) |
× | |||
95条 | 錯誤 | 要件に当てはまれば取り消せる | 第三者 | 〇 (4項) |
× | × | |||
96条 | 詐欺 | 取り消せる(1項) | 第三者 | 〇 (3項) |
× | × | |||
(第三者による詐欺の) 相手方 |
取り消せない | 取り消せる (2項) |
|||||||
96条 | 強迫 | (常に)取り消せる | 第三者 | × (第三者保護規定はない) |
意思表示の効力発生要件
改正前は,隔地者に対する意思表示は,その通知が到達した時から効力を生じると定め(改正前民法97条1項),隔地者に対する意思表示についてのみ,効力発生時期についての規定を設けていました。
しかし,対話者間でもいつの時点で効力が生ずるかは問題となり得ますし,隔地者・対話者間で区別を設ける合理性に乏しいことから,改正法では,意思表示一般の原則として,その通知が到達した時から効力を生ずるものとしました(条文上の変更は,「隔地者に対する」の文言を削除しています。)(民法97条第1項)。
また,当事者間の公平を図る見地から,相手方が正当な理由なく意思表示の通知が到達することを妨げたときは,その通知は,通常到達すべきであった時に到達したものとみなす(同条第2項),とされています。
* 意思表示の効力発生要件としての「到達」とは何かは別途問題となり得ます。ただ,これまでは,条文上「到達」しなければ意思表示の効力が発生しないとされていたので,たとえば郵便物を故意に受け取らなければ効力は発生しないことになってしまうといった不都合を避けるために,判例は,相手方が内容を推知できかつ受取日の指定により受領ができたような場合は,遅くとも郵便物の留置期間満了の日に「到達」があったものとして,意思表示の効力を認めていました。今後は,このような場合は到達を妨げた場合の97条2項の規定によって処理できることになると思われます。