預貯金払戻し制度創設前の問題点
平成28年12月19日の最高裁大法廷決定により,預貯金債権が遺産分割の対象に含まれると判断されました。
それまでは,預貯金債権も他の債権と同様に相続開始と同時に各共同相続人の相続分に応じて当然に分割され,これにより各相続人は自己に帰属した債権を単独で行使できるものとされていましたが,上記最高裁決定以後は,遺産分割前は共同相続人全員の同意がなければ払い戻しをすることができないこととなりました。
そのため,相続人において債務の弁済をする必要がある,あるいは,被相続人から扶養を受けていた相続人の当面の生活費を支出する必要があるなどの事情があっても,預貯金を遺産分割前に払い戻すことができず,不都合が指摘されていました。
預貯金払戻し制度の創設
以上のような不都合を回避し相続人の資金需要に迅速に対応できるようにするため,改正法は,各共同相続人が,遺産分割前に,裁判所の判断を経ることなく,一定の範囲で遺産に含まれる預貯金債権を行使することができる制度を設けました。
これが,遺産分割前の預貯金の払戻し制度です(民法909条の2)。
なお,この規定は,2019年7月1日から施行されますが,同日前に開始した相続でも,同日以後に預貯金債権が行使されるときも適用されます。
払戻し限度額
必要な資金需要にこたえるためといっても,無制限に払い戻せるわけではありません。限度額があります。
払戻しを受けることができる額は,相続開始時の預貯金債権額の3分の1に,払戻しを請求する共同相続人の法定相続分を乗じた額です(民法909条の2前段)。
ただし,1つの金融機関から払戻しが受けられる上限は,150万円です。
たとえば,相続人が長男,次男のみ(法定相続分は各2分の1)で,相続開始時の被相続人名義の預金がA銀行1200万円,B銀行600万円あったとします。
この場合に長男が(次男も同じ)預貯金の払戻しを行うときの限度額は,
A銀行口座:1200万×1/3×1/2=200万円→ただし上限が150万円なので150万円払戻し可
B銀行口座:600万 ×1/3×1/2=100万円→100万円払戻し可
ということになります。
払い戻された預貯金の取り扱い
仮払い制度により預貯金が払い戻された場合,その後の遺産分割でこのお金はどのように扱われるのでしょうか。
この制度により払戻しを受けた相続人は,遺産の一部分割によりこれを取得したものとみなされます(民法909条の2後段)。
そのため,仮にその払戻した預貯金額がその者の具体的相続分を超過する場合は,当該相続人は,遺産分割においてその超過部分を精算すべき義務を負うことになります。
どういうことか少々わかりづらいのですが,払い戻した共同相続人に特別受益があるような場合には,特別受益を加えた額がみなし相続財産となりますので,払戻額が具体的相続分を超過することがあり得ます。
たとえば,相続人が長男と次男の2人,相続開始時の遺産がA銀行の1000万円のみであり,長男が遺産分割前にA銀行から150万円を払い戻していた場合(1000万×1/3×1/2=166.666…万円>150万円のため,150万円払戻しが受けられます)。
長男が生前贈与を受けており,特別受益が1000万円とすると,
残余財産の850万円+払い戻した150万円の1000万円+生前贈与1000万円=2000万円がみなし相続財産となります。その結果,長男の具体的相続分は0円となり,150万円が超過額となります。
このとき,家庭裁判所は,遺産分割審判で,長男に対し,150万円の代償金の支払いを命じることができるようになるわけです。
払戻し請求をするために必要な書類
この制度により払戻しを受けるため,金融機関では,
- 被相続人の出生から死亡まで連続した戸籍(除籍謄本,戸籍謄本等)
- 相続人全員の戸籍謄本
- 預貯金の払戻しを希望する相続人の印鑑証明書
が求められることになるようです。
払い戻せる額(限度額)の計算においてその者の法定相続分を乗じる必要があるので,法定相続分を把握するためには,相続人を確定させるため,被相続人の出生から死亡までの連続した戸籍が必要となります。しかし,これをそろえるためには手間と時間がかかります。
払戻し制度が,遺産分割を待たず迅速に預金等を払い戻せることを可能にした制度だとしても,一定の時間はかかることになりますので,葬儀費用等,本当に差し迫った支出に充てるためには間に合わないことが多いかもしれません。
保全処分の要件緩和について
遺産分割前に払戻しができる制度には,上記のように家庭裁判所の判断を経ずに払戻しができる制度のほか,家庭裁判所の判断により払戻しができる制度があります。
仮分割の仮処分の制度(家事事件手続法200条2項)です。
改正により,預貯金債権の仮分割の仮処分に関しては,資金需要に柔軟に対応できるようにするため,その要件が緩和されました(同条3項)。
つまり,仮払いの必要性があると認められれば(急迫の危険を防止する必要まではなくとも),他の共同相続人の利益を害しない限り,家裁の判断で仮払いが認められるようになりました。
この場合,家裁が認めた額の払戻しができることになりますので,限度額150万円までという制限はありませんが,その者の法定相続分の範囲内に限定するのが相当と考えられています。