賃借人の原状回復義務

賃貸借契約が終了し,賃借人が建物を明け渡した後,賃貸人が賃借人に返還すべき敷金ないし保証金から原状回復費用を控除して返還したことから,賃借人が控除すべきでないものが控除されているとして,返還されなかった敷金や保証金の支払いを請求して争いとなるケースがあります。

なかには,敷金のみでは賄えなかったとして,敷金を上回る原状回復費用を追加請求され,賃借人がこれを争うこともあります。

賃借人が負担すべき原状回復費用の負担について,ポイントを簡単に整理しておきたいと思います。

借主の原状回復義務とは

建物賃貸借契約が終了すると,借主は賃借建物を原状に復して返還する必要があります(原状回復義務)。
ただし,ここでいう原状回復義務は,入居していた建物を,契約時の元の状態に戻すという意味ではありません。賃貸借契約は,賃借人が賃借した建物を使用し,その対価として賃料を支払うものですので,通常の使用に伴う汚損や損耗は賃貸借契約の性質上当然予定されており,この点は賃料に折り込み済みであると考えられているからです。

改正民法(621条)は,

賃借人は,賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く)がある場合において,賃貸借が終了したときは,その損傷を原状に復する義務を負う。ただし,その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない。

と定め,通常損耗,経年変化による損傷借主の責めに帰することができない損傷については,賃借人に原状回復義務がないことを明文化しています。
この規定は改正によって新しくもうけられた規定ですが,従前の扱いを明文化したものですので,新しいルールが定められたわけではありません。

したがって,先ほどの争いのケースでは,賃貸人が敷金等から差し引いた,ないし賃借人に請求する現状回復費用が,賃借人の善管注意義務違反等に起因するような借主の責めに帰すべき損傷等に関するものなのかどうかが問題となります。

一般に,建物設備自然な劣化や,クロス(壁紙)床材等の変色,電化製品による電気やけ家具の設置跡などを補修・修繕する費用は,賃貸人が負担すべきものです。
賃借人の不適切な手入れ,用法違反等による設備の毀損は,賃借人の負担となります。

賃貸借契約書に特約があった場合は?

賃貸借契約書に,賃借人が通常損耗の原状回復義務を負担するという特約が付いていた場合はどうでしょうか(畳と壁紙を交換する費用を借主が負担するという特約が付いていた場合など)。

この場合はその特約の有効性が問題となります。

判例の考え方

最高裁平成17年12月16日判決は,

建物の賃貸借においては,賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生じる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗にかかる投下資本の減価の回収は,通常,減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払いを受けることにより行われている

とし,

賃借人が賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負うためには,少なくとも,賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか,仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には,賃貸人が口頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認められるなど,その旨の特約(通常損耗補修特約)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である

と判示しています。

そしてこの事案では,建物賃貸借契約書の原状回復に関する条項には,賃借人が補修費用を負担することになる賃借建物の通常の使用に伴い生ずる損耗の範囲が具体的に明記されておらず,同条項において引用する修繕費負担区分表の賃借人が補修費用を負担する補修対象部分の記載は,上記損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえず,賃貸人が行った入居説明会における原状回復に関する説明でも,上記の範囲を明らかにする説明はなかったとして,特約の有効性を認めませんでした。

原状回復ガイドライン

国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(以下,「原状回復ガイドライン」といいます。)はトラブル未然防止の観点から,近時の裁判例や取引実務を考慮して一定の基準を示したものですが,
原状回復の定義を

賃借人の居住,使用により発生した建物価値の減少のうち,賃借人の故意・過失,善管注意義務違反,その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること

とし,
賃借人に特別の負担を課す特約の要件を,

  1. 特約の必要性があり,かつ,暴利的でないなどの客観的,合理的理由が存在すること
  2. 賃借人が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことについて認識していること
  3. 賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること

    としています。

消費者契約法10条

居住用の賃貸家屋の場合は,通常損耗補修特約は民法の原則と比べて消費者に不利になる場合ですので,具体的なケースによっては消費者契約法10条違反として無効とされる場合があります。
なお,事業用の建物賃貸借の場合には,消費者契約法の適用はありません

室内リフォーム費用」を賃借に負担される特約は,そもそも契約の必要性・合理性を欠くものといえますし,
畳・壁紙等の取替費用」は,賃借人において通常損耗以上の修繕費を負担する認識があったかどうかが問題となります。
一般に「クリーニング費用」「ペット飼育のための消毒費用」あたりは認められやすいのではないかと思われます。

何をどこまで負担しなければならないか

原状回復費用を賃借人が負担する場合でも,敷金から控除する額,あるいは賃借人から請求する額をめぐって争いになることはよくあります。

原状回復に関する費用は,使用されている資材や施工方法により物件ごとに異なりますが,入居時からグレードアップした材料の使用などを承認する必要はありません。
また,賃借人が負担すべき費用は経年劣化や通常損耗を考慮した状態にすることが前提となります(新品に戻すことが前提ではない)。

経過年数を考慮

賃借人の故意又は過失によって建物を毀損し,賃借人が修繕費を負担しなければならない場合でも,経年変化・通常損耗分は賃借人はこれまで賃料として支払ってきているので,明渡時に賃借人がこの分まで負担しなければならないとすると,経年変化・通常損耗分が賃貸借期間中と明け渡し時とで二重に評価されることになり,合理性を欠くことになります。
そこで,賃借人の負担については,建物や設備等の経過年数を考慮し,年数が多いほど負担割合を減少させることとするのが適当です。
経過年数による減価割合については,本来は個別に判断すべきですが,原状回復ガイドラインは,目安として,法人税法等による減価償却資産の考え方を採用することにしています。すなわち,減価償却資産ごとに定められた耐用年数で残存価値が1円となるような直線(又は曲線)を描いて経過年数により賃借人の負担を決定するのがガイドラインの考え方です。なお,実務的には,経過年数ではなく入居年数で代替することがあります。

例えば,クロスの耐用年数は6年とされていますので,入居時に新しい壁紙に張り替えられていた事案で入居から3年で退去する場合,クロスの現存価値は50%ということになるため,借主の負担は新品に張り替える費用の50%ということになります。

 

ただし,経過年数を超えた設備等であっても継続して賃貸住宅の設備等として使用可能な場合があり,賃借人はこのような場合でも善良な管理者として注意を払って使用する義務を負っていることはいうまでもありませんので,経過年数を超えた設備等であっても修繕費の負担が発生する可能性があります。

クロスの事案で,6年を経過し,残存価値がなくなったため,好きに傷つけても修理しなくてよいということにはならない,ということです。

 

また,経過年数を考慮しないものもあります。建物本体と同様に長期間の使用に耐えられる部位であって部分補修が可能な部位(フローリング,柱,建具等。ただし,当該部位全体の毀損により全体の張替をする場合は建物全体の償却期間を考慮します。)や,消耗品であり減価償却資産とならないもの(畳表,襖紙,障子紙等)です。

経過年数を考慮しないので,賃借人の負担単位についてそのまま賃借人の負担になります。

賃借人の負担対象範囲

原状回復は既存部分の復旧ですので,可能な限り既存部分に限定し,毀損部分の補修工事が可能な最低限度を施工単位とすることが基本です。
しかし例えば壁紙などの場合,既存部分が一部分でも,他の面との色や模様合わせをしないと価値が維持できない場合があるので,既存部分だけではなく部屋全体の張替えを行うことが多い現状があります。この場合に,賃借人にどの範囲で費用を負担させるのかが問題となります。この点は,平方メートル単位が望ましいが,賃借人が毀損させた箇所を含む一面分までは張替費用を賃借人負担としてもやむを得ないとされています。
ケースにより,不公平が生じないよう賃貸人・賃借人間で話し合うことが必要になるでしょうが,争われるケースも多いです。

*国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」はこちら

 

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